暮らしの方針 2022
2022 年はこういう方針でやっていくぞ!と年始の時点で考えていることを書き出しておく。こういうのは 1 年の途中のどこかで形骸化することもあるけれど、少なくとも年始にはそう考えていたんだぞ、と記録を残しておくのは無益ではないはず。 「2030年に向けてやっていく」
テーマはこれでいこう。気付けば 2020 年代に突入してから早 2 年というところ。自分がなんとなく想像している未来の方向性ってのがあるので、そっちの未来の備えになるようなことはどんどんやっていくし、逆行に感じられるようなことからは手を引いていく。
ビッグ・テック時代の「次」を想像する
体験からくる学びを重視する
非中央集権的な組織運営をあらためて模索する
テクノロジ、デジタル、オンラインの可能性を信じる
持続可能な形を意識する
自分のためだけに書いており、極めて主観的だし、出典なども示していないし、総じて乱暴な書き味である。第三者が読む場合は注意されたい。
ビッグ・テック時代の「次」を想像する
2010 年代はビッグ・テックの時代だったと思う。よく言われる GAFA 的な少数の企業群が絶大なパワーを有して、情報を制することで社会を制していたような時代。この勢力図は 2022 年にも大きく変わってはいない。これが 2030 年には変わっているんじゃないか、というのがなんとなくの想像。 ビッグ・テックがもたらした恩恵は理解していて、ぼく個人も Google に情報を渡しまくることで利便性を享受している。にしても、2020 年頃には問題も多く指摘されるようになっていて、変化の兆しも見えてきている。ここから数年かけて「影響力が一部に集中しすぎるのはよくないよね」という雰囲気のもとさまざまな変化が進んでいくんじゃないかな。 2008 年から稼働を続けている Bitcoin というシステムの存在は大きい。インターネットと同じように、集権的な管理者が不在でも社会によって維持されるシステムの新たな像が示された。 なお、ぼくは Web 2.0 と呼ばれた潮流の影響をもろに受けていて、日本においてやや早めにこの流れに乗れたことで多くの先行者利益を得たと自己認識している。凡人のぼくが、2006 年くらいからウェブアプリケーション開発にまつわる技芸を優先して身につけていったことで職には困らない 15 年間を過ごしてきた。そんなぼくなので、Web3 の動向は無視できずにいる。この流れにどのタイミングで本格的に乗っかるかによって、次の 10 年間くらいの人生が変わってくるんじゃないかと思っている。 体験からくる学びを重視する
2021 年は「いっぱい勉強するぞ〜」と意気込んでスタートしたものの、これがあまりうまくいかなかった。2020 年も、世界のドタバタになんとか適応しようとしている間に過ぎ去ってしまったので、なかなか勉学に集中できない年だった。さすがにこのリズムのまま 2022 年も同じように過ごしてしまってはもったいないので、アプローチを変えてみよう。
「いっぱい勉強する」というよりは「いろんなことを体験する」というアングルで過ごしてみたい。
先にも少し触れた「Web 1.0 → Web 2.0」や「Web 2.0 → Web 3.0」といった大きなパラダイムの変化を迎えるときは「わかった気になる」のはけっこう危ないと感じる。「なにもわからない」と思えていればマシな方で、本質を見誤っているのになんとなくわかった気になって過ごしていると、理解の遅れを引き起こすこともあるだろう。知識に偏った学び方をしているとわかった気になりやすいので、体験とのバランスを意識する。 「勉強する」「学ぶ」の重要性は以前にも増して強く認識しているところ。今年は教科書的に勉強するよりも、未知の領域には積極的に飛び込んで、手を動かして、体を動かして、体験して経験することで学習を加速させていきたい。結果的に「勉強になったなあ」と年末に思えていれば万々歳。そう都合よく進むばかりではないだろうけれど、とにかく体験重視でいく。
Web 2.0 にワクワクしていた時期は、自然とそうしていたんだよなあ。今よりもっともっと無知でわからないことだらけだったけれど、とにかくいろんなサービスに登録しては触ってみて、興味を惹かれるものがあったら勉強してみる、みたいな。あのころの我武者羅なテンションを呼び覚ましたい。 非中央集権的な組織運営をあらためて模索する
とはいえそこまで悲観はしていない。ぼくが熱心に活動していたころの高専カンファレンスの事務局とか、2021 Advent Calendar 2021 の在り方とか、よくわからんけれど維持されているような謎の組織体はこれまでにもいくつか見てきた。どういった条件のもとで「非中央集権的な組織運営」が成立するのか、あるいはその難しさを、体験を通じて理解していきたいところ。 テクノロジ、デジタル、オンラインの可能性を信じる
ぼくは特定の宗教を信仰してはいないけれど、強いていえばテクノロジのことは「とってもよいもの」と盲目的に持ち上げる傾向がありそうだ。少なくともぼくにとってテクノロジはとても大事なものだし、ぼくの未来を楽しい方向に導いてくれる存在だと信じている。 2021 年はほとんどずっと在宅勤務していて、ようやく 12 月に社のみなさんとオフラインで接する機会があった。東京にて。ひさしぶりということもあり、最近入社した人々とは初対面ということもあり、また、社としてこういった会を実施できるくらいには COVID-19 の感染状況が落ち着いていることへのうれしさもあり、とても楽しい時間を過ごすことができた。 ただ、東京から那須塩原に戻ったぼくは「やっぱりオフラインが最高!」「来年からオフラインに戻ろう!」というテンションにはならなかった。オフラインで感じた楽しさを思い出しながら考えるのは「オンラインで、これ以上の楽しさを実現しようぜ」ということだった。オンラインで試せることはまだまだたくさんある。ぼくらはぜんぜん試し切れていない。今年はテクノロジをめいいっぱい活用して、オンラインでのよりよいコミュニケーションを模索していきたい。 先に「社のみなさん」と書いたが、これは正確には「東京オフィスにお集まりのみなさん」だ。それとは別に福岡オフィスに集まっていたみなさんもいたが、東京と福岡で別々に集まっていたので盛り上がりは分断されていた。オンラインならば、本当の意味で「社のみなさん」といっしょに盛り上がれる可能性がある。ぼくはそっちの未来を夢見ている。
もちろん、東京都内を出て那須塩原に引っ越してきたぼくが書くこれは、おおいにポジショントークではある。その分は差し引いて読んでもらって構わない。差し引いたとしてもぼくの主張の大筋は変わらない。どのみち、2030 年に今よりもテクノロジの扱いが小さくなるとは考えにくいのだから。 持続可能な形を意識する
ひとやすみ 2021-09 の通り、去年は不調な時期に苦しんだ年であった。この経験を経てますます自身の活動の「持続可能性」について考えるようになった。近年はそうでもないが、20 代のころはやっぱりお仕事に多くを捧げていたと思う。お仕事が楽しすぎてワーカホリック気味だった。あれは持続可能な働き方ではなかったな、と今では思う。元気に 2030 年を迎えるためには時間の使い方も工夫していくのがよいだろう。 今年は「短時間でしっかりと成果を出す」つもりで、やらないことを決めてとにかくやることを減らしていきたい。減らすことを覚えていきたい。目先の細かいことをたくさんこなせば短期的には感謝されて重宝されるとは思うけれど、いくつかの大事なことにフォーカスして取り組んで、働く時間はほどほどにして、未来について考えたり動いたりする時間を増やして、長期的なスコープで役に立てるような存在になりたい。お行儀のよい書き方をしちゃったけど、会社の役に立ちたいってよりは、世界の流れを捉え損ねると自分の人生がやばくなるリスクが大きくなるので、楽しく生きていくために強かにやりますよっていう自分本位の話。
まずは余裕を持って自分の日々を落ち着けて、生み出した余裕で必要に応じて家族や身近な人々の手助けをできたらうれしい。とにもかくにも、まずは自分自身の安定を目指す。